続★さだっちょんのドンブラコ岩手生活

横浜から岩手に移住し早○年。カヤック&農作業ほかお外遊びなら、なんでもOK!
 
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洲澤育範さんから貴重なコメントをいただきました! 20:05
バイダルカのエントリーにあたり、表現に間違いのないよう
製作者ご本人であるインディアン・カヌークラフト松原さんと、同じくバイダルカ復元を手がけるエル・コヨーテ洲澤さんご両人にご連絡さしあげたところ、洲澤さんから
「ブログにコメントしようと思ったけど、長くなっちゃったのでメールにしました。よかったら掲載してください」
という説明のもと、たいへん貴重なレポートをいただきました。

 suzawasan

カヤックと人の歴史について奥深いものを考えさせられます。
ぜひ、↓読んでみてください!

「知床シーカヤックシンポジウムによせて」
by洲澤育範
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       「知床シーカヤックシンポジウムによせて」         06 10/9
                         
 僕は1993年からスキンカヤックの復元をはじめた。当事日本に於いて、それに関する情報は極めて少なく、皆無といってもいいほどだった。
 復元の過程で特に困ったのが、スキンの代用として使う綿布への塗料だった。
 僕は、既にスキンカヤックの世界に足を踏み入れていた、インディアンカヌークラフトの松原さんに教えを乞うた。わずか数分、電話でお話ししただけだった。それから14年の月日が流れさった。

 今年、新谷暁生さんの計らいで、知床で松原さんと松原さんの作ったバイダルカにお会いすることができ、なおかつバイダルカで知床を漕ぐことができた。
 僕にとっては、何ものにも代え難い時であったし、人生に深く残る時でもあった。

 さてさて、ここではウナンガン(アリュート民族)について、またィ・キャック(バイダルカ)について知る事、学ぶ事についてお話ししよう。それは「知床シーカヤックシンポジウム」の意図にもつながることだと思う。
 人は往々にして知識を文字に求める。がしかし、僕は目の前の事象に積極的に関わり、感じ取り、くみ取り、考えることが、知る・学ぶことだと思っている。文字を媒体として吸収するのではなく、もっと直接的に触れて肌から吸収し心に蓄えることが、知る・学ぶことだと思っている。

 ウナンガンは文字を持たなかったといわれている。いわゆる口伝での文化
文明の継承だ。一般的に文字を持たない人々の歴史は、あやふやな記憶によるものと捉えられてしまう。
 しかしこれは文字をもつ人間の一方的な解釈であり、驕りであり、文字を持つことにより、曇った目と、がさついた肌と、閉じた心が生み出した考えだと思う。

 ィ・キャックがどのような船で、どのように作られたか?
 またウナンガンはどのように暮らし、どのような心模様だったか?
 確かに彼等は文字を持たなかった。が、彼等は文字以上に明確な伝達手段で、彼等の歴史を今世に僅かだが残している。それは彼等が使っていた道具だ。
 文字で記録された史書には編纂者の政治的権力が恣意されるが、道具にはあからさまな暮らしの痕跡しか残らない。

 縄文という言葉がある。縄の文様という意味だが、僕は違うと考えている。
縄で現された文字、明確な言語だと考えている。ィ・キャックには多くの縄文が施されている。

 ィ・キャックを最小の手道具で生み出せば、ウナンガンと直接会話ができる。
ィ・キャックをどのように作ればよいのか、どのように漕げばよいのかはィ・キャックに聞くのが最善の方法だと思う。アリューシャンに出かけなくてはならないと切実に思う。
 僕はィ・キャックがいっていることを、代弁しているにすぎない。
きっと松原さんもそうだと思う。松原さんの作ったバイダルカから僕はそう感じた。

 事象と人との間に文字が入るより、事象と人が直接対面した方が、理解に時間はかかるが、理解はより深いものとなる。
 だからウナンガンは文字を作り出さなかったのだろうと思う。だからアリューシャン列島で暮らせたのだと思う。

 さて本題である。
 今回の「知床シーカヤックシンポジウム」はあまりにも天候が良すぎて、知床の自然の厳しさは味わえなかった。が、地形からその一端は想像できる。
 自然の厳しさもさることながら、知床の持つ宿命、自然遺産が故、観光地が故に知床が抱える問題も根深いと思えた。このままでは、間違いなく近い将来、事故は起こる。しかも取り返しのつかないような・・・。
 知床を訪れるカヤッカー、知床でカヤックを生業とする人々、知床の海を旅する人々に、なんらかの形で「知床ルール」を告知しなくてはならないと思う。

 ここで声を大にして極めて大切なことをいいたい。「知床ルール」は新谷暁生さんが明文化している。多分、新谷さんは自分の責務としてこの任を果たしのだろう。新谷さんは自分の利益を守るために「知床ルール」を明文化したわけでは決してない。
新谷さんは「知床の言い分」を知床に代わり「代弁」しているのだと思う。
 僕は新谷さんにお会いしたのは3回しかない。会話をした延べ時間は1時間にも満たない。だけど僕はそう確信している。

 羅臼町でのパネルディスカッションのおり、秀岳荘の金井社長さんが「知床シーカヤックシンポジウムを10年続けるように」とおっしゃった。
 新谷さんの年齢には少し重い言葉だと思い、その言葉の半分は新井場さんに向けられているようにも思えた。
多くの人々の善意と熱意に支えられながら、来年も再来年も「知床シーカヤックシンポジウム」が開催されることを願っている。

 次回は僕もィ・キャックを持って行こうと思う。できれば知床に置いて帰りたいとも考えている。

 最後に関係者のみなさん、参加されたみなさん、共に「知床」を漕ぎ、「知床」と話し、「知床」と考え、「知床」と眠った時間を幸せに思います。
ありがとうございました。

                                     洲澤育範
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